わたしは花粉症じゃないのだけども、アレルギーなので
今後花粉症になる確率は非常に高いと言われて来た。
つうかもしかしたら、もう若干花粉症かもしんない。
かと言って、外に出ただけでくしゃみ鼻水とか酷くなる、
とかではないのでまあ違うかな……って思うんだけど、
想像で『ウッ』ってなる。
うちは普通に洗濯物を外に出して干してて、1日だと
気温が高くないと乾かないし、その日に会社に行ってると
日中取り込めなかったりするので、2日出してる……って
事もある(ルーズ主婦)
そして取り込む時には、必ずホコリ&花粉も払う気持ちで
手に持ってバサバサやってから取り込むんだけど、
しかしそれで全部落とせるはずもなく、まあズボラな
O型なのでバサーバサーと家の中に放り込む訳ですよ。
すると、やっぱり何だか目が痒い。
くしゃみよりも目に来る感じなのだ。
でもそれよりも検査でバッチリアレルギーに
書いてあっただにとかハウスダストの方がすごい。
例えば地下にあるラーメン屋とかに行くと、
途端に鼻ムズムズ、目がカユカユになるのだ……。
その症状が夫と若干違ってて、夫は家のトイレに
反応するんだけど、そのラーメン屋ではしなかった。
しかし昨日夜ご飯を食べに行ったお店では、
二人して目がカユカユになったので、
同じのがダメな部分もあるらしい。
同じくダメなのはカビかもしれない。
春なのにそういう症状でウンザリとか、
ちょっと厳しいなって思ったりしやした。
拍手等有難うございます。
続きにはさっき掃除しててしっくり合点が
言った事を書きます。
さて何がしっくり合点かというと。
私は元から絵が好きから始まった人間なので、
漫画は絵から入ったと思う。
絵が気に入って読む、というのが非常に多かった。
そして若い時分は内容がそんなでなくとも
絵が上手ければ好きだったりした。
その後、自分も成長したので、今度は絵は良くて
中身が良くないと逆の場合以上に不満である事も知った。
ゲームの仕事も長くやって来たので、絵だけが良い
というのは、そもそもがなってない気がして来ている。
つまり漫画でもゲームでも、中身が良ければ
それは良い作品なのである。
中味をなあなあにして、外見で客を引こうという
作品は賞賛に値しないと。
でも、だからと言って絵を疎かにして良いはずがない。
それは何故と言えば、どれもが良いものが一番良いに
決まってるからである。
しかしそれが難しいので、どれかを良くする事によって、
購買欲をそそろうというのは作り手の努力と言えない事もない。
……が、やっぱり全てが良い方向に頑張ってるのが
良い作品だというのは変らない。
ゲームは完全に分業なので、良いグラフィッカーに頼んで
作ってもらうと言う事も出来る。
漫画もそれは原作と漫画家に分かれてやると言う事もある。
でも私の基本的な考えでは、漫画家は話も絵もどっちも
描くのが漫画家なんだよなと思う。
原作をもらっても、それを表現するのは漫画家の腕なので、
それをちゃんと漫画として機能させるには、
きちんと話の構成を立てられて、見せ場も作れる
人でないとならないと思う。
志望者で、『時分は絵しか描けない』と言う人が
よくいるけども、ならば漫画家じゃなくイラストレーターを
目指したほうが良くないのだろうかって思う。
話も絵も描きたいって人が漫画家になるもんじゃないのかなって。
自分は絵だけ描きたいけど、イラストレーターになれる
技術はないのでじゃあ漫画家とかいう選択の仕方は
おかしいなって思う。
いそうなので。
絵も話もどっちもかなり難しいものなんだけど、
絵はある程度練習を重ねて行けば上手くなると思う。
話に関して言うと、自分としては面白いお話が書けるか
というのは、努力するってどうするのかちょっと分からない。
絵と同じで沢山書けば面白いものが書けるのだろうか?
私自身は自分の話に全く自信がないので、本当に
そこに関しては分からないとしか言えない。
かと言って、じゃあ話作りが好きではないのかというと、
その逆で、小さい時から話を作るのは大好きだった。
それは読んだ本から得た知識などを盛り込んで、
色々作ったけど、オリジナリティがあるかと言えば
『う〜ん』である。
面白いかと言っても『う〜ん』である。
でも好きなので、話のヒントをもらえば後から後から
アイディアは出てくるし、まとめるというのも
そこそこ得意だったりする。
なので『漫画』というものも描けたのだった。
話を戻して
しかしプロの漫画家さんであっても、そこまで画力が
高い人ばかりではない。
そういう人もいて、そういう人で人気がある作家さんは
話の方が抜きん出ているという事だと思う。
漫画もゲームも結局は総合力なので、
どれも全てが等しく揃ってなくてはならないと言う事
ではない。
しかしそれでもやはり絵の力は必要だと思う。
漫画の例で言えば、漫画の絵は、話の説明が出来てないと
ならない。
これは上手ければその説明がしやすかったりする。
また、上手いだけでなく、効果的な画力があると
さらに漫画の魅力は上がる。
これは絵や映像を使う創作はみんなそうなのではないかと思う。
なので絵もすごく大事だと思う。
何をしているかを伝えられないと、作品の魅力が半減して
しまうからだ。
話に比べて、絵は沢山描けばある程度上手くなると
言ったけど、どうしてもそれが出来ない人がいる。
多分本人に聞けば、努力してもこれなのだと言うはずである。
でも、私はそこにずっと疑問があった。
しかしそんな事を言ったら憤慨する人が多いだろうし、
自分でも何ともしっくりした回答を得られなかったんだが、
さっきついにしっくり来た考えがひらめいた。
これはその時急にではなく、人と話してもらった意見とかも
頭にあって、やっぱりそうだなって再度脳内で合点が
行ったのであった。
多分努力の仕方の問題なんだろうなって。
『好きこそものの上手なれ』と言う言葉がある。
好きなものは沢山練習するから上達しやすいって諺である。
逆を言えば苦手なものは好きじゃないから上達が遅いんである。
それを普通に練習しても上手くなるはずがないなって。
しかしそれでお金をもらうような場合は好き嫌いを
言ってる場合ではないので多分努力をする。
でも、努力の仕方としては、『やらなければならない』的に
やっているはずである。
その他にも上達を目指す理由とかある。
それは『人に良く思われたい』って部分。
これも上達に関しては、あると早くなったりもすると思う。
でも、この2つの理由だと、多分上達はなかなかしない
のではないかなって思う。
前者の場合は自分の意思でなく『やらされてる』って部分が
強いから。
後者の場合は『自分がいい気持ちになりたい』ためだけに
やってる点。
後者の方はう自発的であるけども、第三者はどうでもよくって、
自分だけの基準で、自分だけの欲のためにある。
こういった欲は自分が『良し』と思えばそこで満足してしまうため、
客観的視点が皆無なので、本当に上達したか分からない。
むしろ悪くなっている場合もある。
でも本人は分からないのでそれで良いと思う。
それが努力だと思う。
どんな作品でも、読者、視聴者というユーザーがいてこそ
成り立っている訳で、自分だけの気持ちの押し売りでは支持されない。
もし本当に上手くなりたいなら、自分判断だけではダメだと思う。
また初めの方の『やらされてる』というような、狭い考えでは、
自分を広げる事は出来ないなって思う。
商品になるもの、クライアントが望むものは、
得てして自分の得意分野ではなかったりする。
ではそういう場合は断るのかと言えば、会社内で、
あるいは他に仕事がない場合は、断っていては
商売が成り立たないのである。
でもちゃんと意図を理解しなければ、相手が望むものも
出来上がらない。
じゃあどうするかというと、苦手でも、自分がどこか
打ち込めそうな部分を見つけて、そこで折り合いを
つけて望まれるものに仕上げて行くしかない。
それを見つけられれば、自分にとっても楽しいものに
なるし、自分だけでは分からなかった自分の可能性という
ものも広がるのである。
過去に仕事をして、何度もそういう事があったし、
またそれによって次回の仕事に役立てられると
思った事も沢山あった。
なので、決して自分欲ばかりでなく努力する事が
大事だなって思うのである。
(読み返さないからちゃんとまとまってるかナゾ)
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