最近創作してないで、もっぱら見る方に回ってる感アリアリの
自分が言うのもおかしいなーって思うんですが、まあ……
多分何か創作をやってて、世に出してる人には分かるかなと
思う事を書こうかなとか。
私が支部の方にネームとか言ってあげてたり、
サイトにシャーペンアナログ描きで上げているものって、
実は全くネームなんかじゃない。
前にも言ったかもだけども。
本当はただの落書きのものが多い。
多分異次元人で本当に描き上げた後にアップしてるネームはネーム、
あと朔也が出てくる投稿用に描こうと切ったものはネームだけど、
それ以外は落書きで、コマがあって、話が進んで行って終わりが
あるからネームみたいに見えるけども、実はただの落書きで、
自分に見せるためにコマを割って、飽きないように描いたものに
過ぎない。
じゃあ何で公開してんのって思うかもだけど、自分でだけ
でなく、他の人にも見て欲しいから、ネームでもないけど、
落書きだけども公開してる。
なのでそんなものでも気に入ってくれると物凄く嬉しい訳で、
つまりそんな気持ちが次に何かを描く時にすごく有難いのであるよ。
上記のようなものだけでも嬉しいんだけども、
じゃあ描くぞって描くとして、誰も見てくれない状態では
あまり長続きはしない。
いやそれはその描き手の執念みたいなものにもよるんだけど、
自分だけが信じるだけだと、長くなればなるほど辛くなって
行くんである。
つまり何かをアップした時、人の目にとまり、誰かが
とても好いてくれたと分かると、全くそれがない状態では、
その作品の存続に関係するという事だ。
これが商業だともっと分かりやすいんだけど、読者の支持が
ない作品は掲載し続けられない。
作者も気力が上がらないし、出版社は利益が上がらない。
打ち切りとなったり、もうその作家さんはお仕事を依頼されなくなる。
こんな事を書こうと思ったのは、大好きな作家さんの
大好きな作品のコメントに、昔のファンアピールはいらないと言った
言葉があったからだ。
私も本当にまだ浅いファンなんだけども、ギリプロになる前に
知ってたし、作品も当時公開してたものは全部読んてメロメロに
なった人間なので、どうしても今までエールを送ってた作品には
何かを言いたくなる。
ここまで来たかーと感慨深さや、なんやら沢山あるんだよ。
もっと以前から知ってた、ずっと支えて来たファンなら尚の事
じゃないのだろうか?
もちろんネタバレはしないし、その時の作品をもう一度見れて
嬉しい事をどうしても言いたくなるのは人の情ではないか。
皆も同じく、良かったなと思って読んでるんだよ。
でも何かそれがその人の気に障ったのかもしれない。
しかし、前述の通り、もしそういう人たちが全くいなかったら、
どうだったんだろう。
この作家さんのこの作品にかける強い思いのようなものがあるので、
やめる事はなかったとも思えるけども、全くなんの声もなく、
誰も支持してもくれずだった場合、プロにならず、そして作品も
今の状態になってないかもしれない。
それはないとは思いつつも、こういう事があると、思い出すのは、
見原順先生の『はみだしっ子』の中で、『誰にも話しかけられず
誰にも見返られなかった子供は生きてはいけなかった』と
描いてあったのを思い出す。
作品も子供も同じじゃないかなと思う。
誰かがそれを育てようと思わなければ育たない。
打ち捨てられたままでは死んで行くしかない気がする。
今までその作品のコメントは、総じて温かなコメントが
多く、今回その人だけが石を投じたようにおかしな
波紋を呼んでた気がした。
また、同じ作家さんの他の作品でも、時折おかしなコメントを
投下する人がいて、そういう人の気持ちってなんなんだろう?
そういう所でしか目立てない人なのかなと思いつつ、結構不快。
まあ目に余るようなら、本心を書くのもしょうがないんだけども、
なんだかそうでなく、ただの捻くれコメントに見えるんだよなー。
まあ本当に好きな作品なら、もう少し和気あいあいとコメントしようよ。
ああいうのって、見ちゃダメだって思っても、作家さんはほぼ
見ちゃうもんだから、そういう事も考えような〜って思うよ。
さて、続きは全く関係ない話。
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