大塚周夫さんの訃報が週末にTwitterで流れて来ました。
申し訳ないのですが、私自身はお名前は存じ上げておりますが、
親しみが一番あるのがねずみ男なんですよね。
その位のものなので、何かを言える訳もなし……。
そして更に作家の平井和正さんの訃報も相次いで流れました。
こちらもやはり名前は十分すぎるほど存じ上げておりますが、
多分読んだ事がありません。
なので本当に悼み悲しんでいる人とは全然比べようのない
感慨しか湧いて来ないというのが本音です。
ですが、最近相次いで、本当に相次いで昭和の時代に
活躍なさった、人に大きな影響を与えた方々がこの世を去って
行ってしまいます。
その事に関しては耐え難い寂しさを覚えるのです。
私は昭和でも後半に当たる40年代に生まれておりますから、
知ってると言ってもたかだかのものだとは思います。
ですが、そんな私ですらこの所の訃報の連続は、生まれた時代
である昭和の本当の終焉という事を突きつけられているようで
なりません。
そして自分の終焉を思わずにはおられません。
昨日夫と外にご飯を食べに行ったのですが、これがとても
美味しくなく、わざわざちょっと足を伸ばして出かけたのに、
もちろん高価な食事でもなんでもないのですが、後悔しきり
でした。
で、そういう美味しくない外食を食べた後に思い出すのは、
20代の頃に夫と一緒に食べ歩いたお店の事です。
特に贔屓にして足を運んでたお店も、まだ亡くなる年でもないのに
ご主人が亡くなったり、あるいはそうなのかも分からない、
久しぶりに行こうかと思ったら店が畳まれてた……などなどで
どんどんなくなってしまっております。
Twitterでも時折そういう事をtweetしておりますが、こういう
寂しい食事にあたってしまった時、『ああ、あの店があったら
こんな思いはしないのに……』となるのです。
昨日もまた同じように、夫と既にないお店に思いを馳せました。
『あそこに行ったら絶対○○を食べる!』そんな会話もします。
タイムスリップが出来たら、なくなったお店に行って、
存分に食べてみたいです。
また、贔屓にしていると、主人と顔見知りになる事もままあります。
言葉を交わす位になってたお店も、今はもうない。
そして自分自身も年を取ったので、当時のお店のご主人や従業員の
方が見ても分からないだろうなと思います。
あー寂しい。
これでなくなってしまっても、また新たに良い店が出来ればまだ
良いのですけども、そういうチェーンではないお店というのは、
今ではやって行く事が難しい世の中になってしまってるので、
どこでも同じ味かもしれないけども、全く有り難味がない味、
本当に『ここは美味しい』という店が少なくなっていると感じます。
昔は良かった……というのは年寄りになった証拠でしょうが、本当に
そう思わずにはいられないなとしみじみ感じるのでありました。
年末、武蔵野市に住んで10年以降からずっと大晦日におそばを
食べに行ってるお店があるのですが、そこには以前の住居が
近かったため、良く出前を取っておりました。
どの位の頻度か、というと一時仕事を夫婦でリタイヤしてた時などは、
週に数回以上取ってた事もあり、仕事復帰してからも週末には
お昼に出前を取ってたお店があります。
当時から既におじいちゃんだった男性店員さんが、出前による
日焼けの顔を覗かせて、バイクで数分しかかからない、うちの
アパートに毎回届けてくれておりました。
そういう事をしておりましたので、もう60歳前後かなあという
風体なれど、矍鑠としてそして力持ち(出前を差し出したり
してるから筋肉があるのだろうと)でしたね。
あまりにも頼みすぎてて、本当は住所を言うのですが、もう
名前で住所パスになってた位頼んでたのですが、私の事情で
一旦足立区に引っ越した後、再び戻った際、同じ所らへんでは
住居を見つけられなかったので、戻った当初は結構遠いので
あまり行けませんでした。
それでも良く歩くようになって、家から40分位の徒歩も問題なく
なって来た昨今は歩いて行くようになったんですけども、
年末に行きましたら、そのおじいちゃん店員さんが、いるには
いたのですが、どうにも顔色は悪いしあまり動けないように
なっておりました。
それでも年末のかき入れ時なので、じっとしてられないのか、
他の店員さんにじっとして休んでてという言葉にも、店の中で
仕事を探そうとします。
ああ……(´;ω;`)ブワッ
ここにも確実に終わりがやって来ているのだなあ、そう思いました。
次回に行った時、まだその店員さんに会えるだろうか?そう思うと
心が重いです。
家とかで休んで良くなるなら良いのですが、顔色がとても悪く足も
おぼつかない様子を夫も見て、顔を曇らせておりました。
寂しい寂しいなあ。元気になってくれると良いなあ。
大事なものはいつか、そして気付いた時になくなっているかもしれません。
だからやっぱり大事に、今を大事に、人を大事にしないとなと思いました。